【体験談】3.11を現地で過ごしたお話 その1
はい。タイトル通りです。
昨日南海トラフの記事を上げたんですが、良く考えれば3.11についてもなにか書きたいなーとか思ってしまったので、約9年前の3.11を宮城県仙台市在住だった当時を振り返ってお話しようと思います。
当日の昼ですね。私は当時小学校5年生でした。
5年2組の国語の授業だったことを覚えています。
そのときは9日だったかにあった地震も含めてクラスメイトも地震に敏感になっていました。その中で1番早く気付いたのは私だったと思います。地鳴りもこれまでの比じゃないくらいの大きさで、教室にある模造紙を貼る木の板が天井からぶら下がってたんですが、それが物凄い勢いで揺れてました。
いつものように机の下に入って(もう何回目かもわからないくらい入っていたので)、とその瞬間に物凄い音と揺れを伴って襲ってきたわけです。
当時はたしか4Fに教室があったんですが、揺れ方がとんでもない。教室の端から端まで持っていかれる感じです。担任のS先生もドア枠にしがみついていました。
叫び声と揺れの音がほぼ同じくらいの音量なんですよね。
何分だったかも覚えてないくらい時間が長く感じました。
女子は全員泣いていましたね。男子は誰も……強かです。
その後に校庭に避難をするんですが、まだ揺れたままの状態で外に出たわけです。教職員の駐車場にはマンホールみたいなのがあるんですが、その脇の地割れが開いたり閉じたりしているんです。おっそろしい。
校庭に全校生徒が集まる訳ですが、酷いもんです。というか教師のほうがパニックになっているんですよ。特に女の先生。私は1周回って物凄い冷静でした。
そのあとは保護者が来た人から自宅へ帰るという感じでした。
学校でのお話はここまで。
続きはまた今度。